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1: 2021/12/27(月) 19:12:24.62
筆者は歴史関連雑誌等の編集に関わっているので、「歴史上の人物で誰を記事に取り上げてほしいですか?」という、読者アンケートの結果などを目にする機会がある。頼朝が上位にランキングされたのは、見たことがない。

・源義経を殺した男
・猜疑(さいぎ)心が強く陰険、かつ冷酷
・鎌倉幕府の創始者というが、武士団に「神輿(みこし)」として担がれただけ
・戦(いくさ)に弱い
・3代で源氏の血を途絶えさせた、先を見通せていない

専門的な書籍を読む歴史好きの意見は異なるだろうが、一般の日本人が抱く頼朝像は、概してこのようなものだ。

日本人の歴史観を培う上で、影響が少なくない大河ドラマはどうだろう。『鎌倉殿の13人』を含め7作に頼朝が登場するほか、「新大型時代劇」(NHK)枠で放送された『武蔵坊弁慶』も含め、8作品を一覧表にした。

頼朝が主人公の作品は『草燃える』だけ。もっとも同作でも、頼朝はドラマ前半で没するため、後半の主人公は北条政子(演じたのは岩下志麻)であり、全体を通しても政子が強く印象に残る作品だった。

一方、義経・平清盛が主人公の作品はそれぞれ2作あり、これを見た限りでは、同時代の他の人物と比べて人気がないキャラクターと考えられていたことがうかがえる。

「戦に弱い」印象を、払しょくできないのが痛い。ファンが好む英雄は、時代が異なるが武田信玄や上杉謙信のように、鬼神のごとく強い。

対して頼朝は、鎌倉に留まって命令を下すだけで、戦ったのは義経や範頼らの弟たちである。当の本人は治承4(1180)年、挙兵した直後の石橋山の戦いで平家軍に惨敗して逃げるなど、戦が下手というレッテルを貼られている。

自らは戦わず、戦功のあった義経を捨てて殺害した冷酷な一面はどうだろう。山本氏は冷酷さは認めるものの、頼朝の心中に分け入った分析をする。

「敵対する平家一門や奥州藤原氏ばかりでなく、義経ら一族も容赦なく滅亡に追い込んだわけですから、冷酷といえば冷酷です。ただ、神託や前例、奇瑞(きずい / 吉兆のしるし)などを重んじて、神祇信仰(仏教伝来以前の原始的神道)や法華信仰(大乗仏教を経典とした思想)にも熱心であったところをみると、冷酷さを自覚し、救いを求めていた人間の弱さもうかがわれると思います」

義経の殺害で頼朝を責めるのは、筋違いと語るのが細川氏。

「義経は自滅です。戦は抜群に強いが、政治的センスはゼロですからね。また、源平合戦で頼朝は活躍していないといいますが、鎌倉は大本営。頼朝自らが大本営から出陣する必要はなく、そこにツッコミ入れるのは義経への同情からくる難癖ですよ」(細川氏)

義経は、頼朝の許しなく朝廷から勝手に官位を授かってはならないと定めたのに、検非違使少尉(けびいしのしょうじょう)の役職を受けてしまうなど、独断専行が目立った。

官位は頼朝と朝廷のあいだで交渉すべき重要な政治案件であり、駆け引きでもあるのだが、それを好き放題にされては、「義経、兄の意図が分からんのか?」となってもしかたない。

権力者の例にもれず晩節を汚した

ただし、晩年になると様子が変わってくる。建久8(1197)年、娘の大姫(おおひめ)が死去した頃からだ。

大姫は最初の夫を頼朝に殺され、その後は天皇への入内を計画中に死去するなど、政治に翻弄された女性だった。

山本氏は、頼朝の晩節をこう語る。

「大姫の入内工作に失敗したのは悔いが残ったでしょうね。そのうえ幕府の権力継承も未完成のまま、志半ばで急死します。平家一門は結果として滅亡するものの、一時は栄華を極めましたから、平清盛と比較すると存在感の薄さは否定できないと思うんです」

清盛を主人公とした大河が頼朝より多いのは、この存在感ゆえといっていいかもしれない。細川氏は、大姫の死によって頼朝は精神のバランスを崩しはじめたと指摘する。

「娘を政治の道具にし早逝されたのは、ショックだったでしょう。またこの時期の頼朝は肥満していたと考えます。おそらく糖尿病。体調不良は大姫の死の前から始まっていたようで、病によって判断能力に支障が出てきたのか、残酷な行為にも及んでいます」(細川氏)

最後に北条政子と頼朝の関係についてもひと言。

「妻の政子が気の強い女性としてあまりに有名なため、尻に敷かれた情けない男という印象もあるのかもしれません。これは頼朝不人気の要因の一つとして見逃せないのでは」
https://news.yahoo.co.jp/articles/81a83b95567518a4f312d8992f54f456926c7572?page=1


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Source: 理系にゅーす