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1: 2022/06/19(日) 12:13:15.14
日本経済の付加価値を作り出すのは企業である。労働生産性が低迷し、付加価値が低迷しているのは日本企業の行動に原因があるからである。

高い年棒をもらっている企業経営者の本来の役割は、リスクをとって新しいことにチャレンジし、企業の将来の糧を生み出すことであるが、
企業経営者が保身化し、企業による投資が低迷している。企業による投資とは、「人への投資」「モノへの投資」である。

これまで国は、財政赤字が膨大に積み上がるほど、財政出動を繰り返してきた。
経済学の教科書では、そのマネーが市場で流通し、一定期間、景気を押し上げるとされている。
その間に、企業は「リスクをとって新しいことにチャレンジし、将来の糧を生み出すこと」により将来の発展基盤が出来上がる。

だが、企業が投資を控えているため、国が財政出動してもマネーが市場で流通せず、すぐに企業の貯蓄に収まってしまう。
要は、国が財政出動すると、そのマネーは、ほとんどそっくりそのまま、企業と個人の貯蓄に移行するだけ、という構図である。
これでは国が財政出動しても景気回復につながらない。企業は「リスクをとって新しいことにチャレンジし、将来の糧を生み出すこと」をしようとしない。

「これまでは国が財政出動してきたがもう限界だ。次は、企業と個人が財政出動する番だ」という声を聴くが、私も賛成だ。

ではなぜ日本企業がこのような行動をとるようになったのか。

日本では「横並び」「船に乗り遅れるな」という言葉があるように、他の企業がやっているのを横目で見て、大丈夫と思えば、自分の会社も始めるというやり方だった。
他社のまねをすることが企業経営であり、自分の頭で何も考えなくてもよかった。市場が成長していた時代はこの方法でよかった。

「追いつき、追い越せ」という言葉もまた、欧米先進国に事例があり、それをまねることが企業経営であることを意味する言葉である。

だが、まねるべき欧米の先進事例がなくなり、しかも低成長時代になると、自分の頭で考えないといけなくなった。
だが、そうした経営をしたことがなかった日本企業は、何もできなくなってしまった。

新しい何かにチャレンジして失敗すれば責任を取らされる。
せっかく、上司に忖度してここまで出世したのに、最後の段階で責任を取らされたら、その後の優雅な人生が大きく狂ってしまう。
自分の在任期間中は、新しいことを何もしないという保身化がまん延した。

「和をもって尊しと成す」という言葉があるように、市場が成長していた時代は仕事のパフォーマンスより、人間関係重視や忖度重視で人事が行われた。
そうした観点から選抜された企業経営者は、根回しは上手でも、専門性を持った経営者が育つ環境にはならなかった。
「上司が見たい絵を描ける人が評価される」人事と言われている。

こうした人事を担っているのが「人事部」である。私がよく出張したドイツでは企業に人事部はない。
完全なジョブ型であるため、各部署が採用権限を持っていて「必要な時に必要な人を雇う」という人事である。
一方、日本の人事部が行っている人事は、「会社のためなら何でもします、どこへでも行きます」という人事である。よく考えてみれば、ドイツの採用方針の方が正しい。

新卒で一括採用し、人同士の相性を考えないで、人事を行うため、人同士の摩擦が生じやすい。
世界的に見ても、日本企業は職場の人間関係が最も悪い部類に入る。人間関係が原因で、日本人の優秀なエネルギーが消耗され、
仕事のパフォーマンスにまでエネルギーがまわらない。なぜ、あの人が札幌支店に出向になるのか明確な理由がないまま赴任辞令が出される。

また「新卒一括採用」であるため、そのレールに乗れなかった若者は、一生、不遇の人生を歩むことになる。実際、入社してみて想像とは違っていたという人も多いだろうし、
入社面接で面接官と相性が合わなかった人もいるだろう。また何かの事情で就活ができなかったという人もいるだろう。
だが、日本は雇用流動市場がないため、再就職の能力開発や転職先を探すのはすべて個人の責任であるため、人は企業にしがみつく。
政府は、非成長産業から成長産業に人材を移動させることを考えているが、人事部の人事方針が障壁となって進まない。

人事部を廃止すべきである。

(全文はソースにて)
https://www.rieti.go.jp/users/iwamoto-koichi/serial/140.html


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Source: 理系にゅーす