school_sansyamendan
1: 2021/12/12(日) 23:21:23.14
アーバンライフメトロ12月12日
https://urbanlife.tokyo/post/72011/

子どもの小学校生活で保護者が最も緊張したり、慌てたりする日――といえば、やはり家庭訪問でしょう。地域によって異なりますが、家庭訪問は「4月下旬~5月」にかけて行われることが多く、先生と保護者の顔合わせの意味合いもあります。先生は移動時間を短くしようと、住所が近い家庭への訪問日を同じ日にまとめるなど、努力しています。

家庭訪問期間は下校時間が早くなるため、子どもにとってはうれしい行事でしたが、多くの保護者にとっては神経をとがらせるものでした。家庭訪問の「副作用」は、家庭の生活ぶりが分かってしまうこと。そんなわけで家はいつも以上に掃除され、普段は食卓に登場しないような高級洋菓子が用意され、保護者は

「わが家はしっかりしている」を、先生にさりげなくアピールしていました。家庭訪問とは単に先生と家で話をする以上の、「見栄」としての存在価値があったのです。昭和生まれの筆者にとっては、懐かしい風景です。そんな家庭訪問ですが、

・平日の日中に行われる時間制限性 ・コロナ禍という社会状況

などの観点から、その存在は風前のともしびとなっています。

2011(平成23)年3月に公開された「三鷹市教育委員会定例会会議録」では、家庭訪問が議題として取り上げられ、当時の三鷹市内の公立小中学校では既に一律の家庭訪問を行っていないことが記されています。昭和スタイルの家庭訪問は10年前に姿を消しつつあったのです。

家庭訪問は昭和30年代以降に定着したイメージがありますが、その概念は明治時代にまでさかのぼります。

1891(明治24)年に公布された「小学校教則大綱」には「学校ト家庭ト気脉ヲ通スルノ方法ヲ設ケ相提携シテ児童教育ノ功ヲ奏センコトヲ望ム」と書かれています。要は、学校と家庭がしっかりと連絡を取り合うことが、子どもの教育にプラスになるというわけです。

学制(学校教育に関する制度の規則)が発布されたのは1872年ですから、20年もたたないうちに上記の方針が打ち出されていたことが分かります。小学校教育の黎明(れいめい)期に、このようなことがあったのは注目に値します。

小学校教則大綱が公布された1891年当時、小学校の就学率は
・男子:66.7% ・女子:32.2%
と、決して高いものではありませんでした。

当時は就労している子どもや就学への理解を持たない大人も多く、通学を働きかけるには、家庭に出向いて説得するしか術はありませんでした。

2013年に発表された「戦前日本の「家庭又ハ其ノ他」における教育」(東北大学大学院教育学研究科研究年報・第62集・第1号)には、明治40年代、町・村長や学務委員、学校長らが不就学児童に対して家庭訪問を行い、就学を勧める話が記されています。

教職員らが明治期から家庭訪問を行い、不就学児童の様子をチェックするという流れは、戦後の混乱期を経て、脈々と受け継がれてました。近代的な学校制度が全国に浸透する過程で、家庭訪問は「学校と家庭の距離を縮めるの手段」として捉えられてきたのです。ある意味、行われるのが当たり前な環境だったということになります。

時は流れ、共働き世帯は増加。保護者が平日に休みをとって家庭訪問に備えることは時代にそぐわなくなってきました。さらに学習指導要領の改訂で授業数も増え、先生が家庭訪問に時間を割くことも難しくなっています。

その結果、21世紀に入り
・戸口訪問(玄関先で保護者とあいさつ程度) ・児童の住居確認(特にコロナ禍)
へと次第に変化してきました。もちろん個別に相談がある場合は、夏季休業中の学校で保護者面談を行うなど、先生は対応していますが、かつてのような「家に先生を入れる」機会は激減しています。

ちなみに文部科学省も家庭訪問を義務化、強制しておらず、生徒指導等に関する「人権教育の指導方法等の在り方について[第二次とりまとめ]」内の「第2章第1節 3家庭・地域との連携及び校種間の連携」にも、

「家庭訪問などによって、児童生徒の家庭や地域での生活実態と生活実感を把握しておくこと(なお、その際はプライバシー等に配慮することが必要である)」

と書かれていますというわけで、特別な事情がない限り、現在の小学校では全児童を対象に昭和スタイルの家庭訪問を行うことはほぼありません。

家庭訪問の概念は1890年代から誕生し、100年以上に渡って、日本の学校教育に根付いてきました。しかし人々の生活様式は日々変化し、保護者にとっても家庭訪問の「優先順位」は低下しています。
(以下リンク先で)
 


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Source: 理系にゅーす