「私が核軍縮の取材を受けるなんて…」
「自分がこんな取材受けるなんて、不思議なんですよね」
ジャパネットたかたの本社がある長崎県佐世保市のオフィスで、白いシャツ姿でオンライン取材に応じた高田さん。パソコン画面の向こうで、本気とも冗談ともつかない口調でこう漏らした。だが、テレビショッピングでのハイテンションなあの甲高い声とは違い、落ち着いたトーンだ。
「これまで何十年も自身の体験を語り続けた被爆者や、署名活動などを地道にやってきた高校生たちには敬意を表したいと思っています。運動をしているわけではない私が、何か口をはさむのも申し訳ないんだけど、長年会社を経営してきた立場から気付いたことを伝えられればと思いまして」と慎重に話し始めた。
そもそも、高田さんに取材を申し込んだ経緯を説明したい。
高田さんは1986年に「株式会社たかた」(後に「ジャパネットたかた」に変更)を創業した。テレビショッピングでMCを務めて人気を博し、業績は急上昇。売り上げ1500億円規模の大企業に育てた。2015年に社長を退任。17年から20年初めまで、長崎を本拠地とするサッカーJ2「V・ファーレン長崎」の社長を務めた。そこで「愛と平和と一生懸命」というキャッチフレーズを掲げ、被爆地のチームとしてサッカーを通じた平和の発信に力を入れた。国連が定める「核兵器廃絶国際デー」の今年9月26日には、活動を知った学生から依頼を受け、NGOと国連広報センターが共催するシンポジウムで基調講演した。
失礼ながら、テレビショッピングのイメージが強すぎるせいか、あの高田さんが核軍縮に関心を持っていたとは……と記者は驚いた。そこで、平和の発信にこだわる理由を直接聞きたくなった、というわけだ。
サッカーチーム運営機に平和発信の義務を意識
生まれ育ったのは長崎県平戸市。原爆が投下された長崎市から北に約100キロ離れている。叔父は長崎市内の工場で働いていて被爆したと記憶しているが、体験を詳しく聞いたことはない。今も印象に残っているのは、中学生の時。女性教師の顔に原爆によるとみられる傷が残っていた。「子どもながらに、気の毒だなあと思っていま…
以下ソースにて
2020年10月26日 06時00分
https://mainichi.jp/articles/20201025/k00/00m/040/041000c
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Source: 理系にゅーす