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1: 2021/08/18(水) 17:14:33.42
■疑似科学のエンターテイナー

 彼の心理を分析するため、まったく不本意ではあったが、過去の彼の動画を何本か観てみた。

 まず最初にはっきりさせておきたいのは、彼は心理学者でも科学者でも何でもないということだ。動画を観て、根本的に科学の人でないことがはっきりわかった。

 心理学をより身近に人々に紹介した点は評価できるが、その内容は贔屓目に見ても陳腐である。巧みな話術やプレゼンテーション能力で誤魔化していただけで、
彼の話の内容は、通俗的な心理読み物や出典もよくわからない論文の抄録などを切り貼りしただけの寄せ集めに過ぎない。

 科学的根拠もないようなサプリメントや健康情報を断定的に薦めたり、自ら宣伝したりしていることも多い。つまりは、疑似科学の権化のような存在となっている。

 YouTubeでは両側を本で囲まれた部屋で配信しているが、人々はその「場面装置」にも騙されて、
「すごい量の本を読んでいる」と感嘆し、あたかも知の巨人のような虚像を信じ込まされていたのだろう。
これもまた、メンタリストの手品仕掛けの1つである。

 しかし、研究者からすれば、あのくらいの書籍の量はどうってことはないし、むしろ日本語の心理読み物ばかりであることにも、その「正体」を見る思いがする。

 決定的なのは、彼には知識の断片の寄せ集めはあるかもしれないが、「教養」がないということである。
「教養」とは、社会学者の橋爪大三郎氏によれば、「知識を理性でまとめたもの」である。それは、われわれが生きていくうえで、人として正しい意思決定を行うための基礎となるものである。
自分が「よく生きる」ため、そして社会をより良くするために、知識を結びつけたものが教養である。

■謝罪になっていない謝罪

 謝罪動画も観た。印象的だったことは、1本目の謝罪動画で、何度か謝罪の言葉を口にしているものの、まったくその言葉が響いてこなかったということだ。
Tシャツのままヘラヘラと早口で、「申し訳ございませんでした」とあさっての方向を見ながら述べたかと思えば、動画の最後には自分のオンラインサロンなどの宣伝を口にしていた。
よくそんな厚かましいことができるなと、救いようのない虚しさしか残らなかった。

 このとき、カナダの心理学者ロバート・ヘアの「感情という言葉は知っているが、その響きを知らない」という言葉を思い出した。

 おそらくは、スポンサーなどにたしなめられて、仕方なく謝罪したということなのだろうが、これがまた炎上にさらに油を注ぐことになった。人の心を読むのを得意としていたメンタリストとは思えない姿である。

■繰り返される差別発言と尊大な自己意識 

 ほかの動画を何本か観る中で、はっきりとわかったことは、彼がこのような発言をしたのは、いきなりでも突飛なことでもなく、昔からずっとそうだったということである。
これまでもホームレスだけでなく、女性差別、能力差別など、醜悪な差別発言を繰り返していたのである。

 これがさして問題にならなかったのは、ほぼ「信者」だけが見る動画での言動だったからなのだろう。そして周りには「信者」しかいないのだから、誤りが修正されることもなく、ますますゆがんだ信念を強めていったのかもしれない。

 一連の発言に共通するのは、尊大な自己意識である。テレビやYouTubeなどでたくさんのファンやフォロワーを獲得したことで、
自分には能力があると過信し、まさに「エゴインフレーション」(自我肥大)を起こしていたのだといえる。

 他の動画のなかで、繰り返し「承認欲求」に言及しているのも印象的だ。これは尊大さの裏返しであり、誰かに承認してもらわなければ尊大な自己意識を保持できなかったのかもしれない。

 しかしまた彼は、「承認欲求には2種類あって、それはステイタスと好感度である。ステイタスを追い求めるだけでは、結果的に人は不幸になる」「自分には権力があると思い込んで、
周りから人が消えちゃう」などと、今を予言するようなことを自分で言っているのだ。
知識が上滑りして、内面化されていなかったということだろうか。

■共感性の欠如
(中略)

全文
https://news.yahoo.co.jp/byline/haradatakayuki/20210817-00253546


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Source: 理系にゅーす