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1: 2022/03/09(水) 04:13:58.45
2022年度、全国の高校で新科目「歴史総合」が必履修科目としてスタートする。これまで高校では「世界史」(正確に言うと教科書の薄い「世界史A」または厚い「世界史B」)と「現代社会」が必ず学ぶべき科目であった。これに対して新しい学習指導要領では、「歴史総合」「地理総合」「公共」が必履修の新科目となる。高校生の時間認識・空間認識・社会認識をバランスよく育むための設計と言えよう。

「歴史総合」では、18世紀以降の近現代史を学ぶ。新学習指導要領では、「歴史総合」の目標を、近現代史における「世界とその中の日本」を広く相互的な視野から捉えながら、(1)歴史を理解する力、(2)歴史に関する様々な情報を適切に調べてまとめる力、(3)歴史事象の意味や特色について多面的・多角的に考察して説明・議論できる力、(4)近現代史の事象についてよりよい社会の実現のために探究する態度、(5)日本国民としての自覚・自国の歴史への愛情・他国や他国の文化を尊重することの大切さの自覚―などの資質・能力を育成することと定めている。

「歴史総合」は、二つの点について画期的である。第一は、19世紀後半の明治維新以来の日本の中等教育史上初めて、日本史と世界史を統合的に学習する歴史科目が誕生した点である。第二は、歴史用語の暗記学習だけでなく資質・能力を育むことを重視した点、つまり教授内容重視(コンテンツ・ベース)から資質・能力重視(コンピテンシー・ベース)への転換である。

日本史と世界史の統合

明治期の歴史教育では、日本史については「尊王愛国ノ志気ヲ養成」(1881年の文部省「小学校教則綱領」)という目的が重視され、他方、上級学年から始まる万国史については文明開化のモデルとしての西洋史が重視されていた。日本史と万国史は、それぞれ別々の神話を学ぶところから始まり、両者の間の整合性はなかった。日清戦争後の1902年に、文部省は、日本と特に関係の深いアジアの国々を詳細に学ぶ必要があるという理由で、中学校の万国史を東洋史と西洋史に分離した。大学の方でも(東京)帝国大学を皮切りに史学科を日本史学・東洋史学・西洋史学に分割する動きが広がり、日本特有の三科分立体制が定着していった。

戦後の新制高校の出発にあたり、東洋史と西洋史が再びまとめられて世界史が生まれたが、日本史と並列される体制は変わらなかった。多くの高校現場では受験科目に集中するために世界史と日本史のどちらか一方しか生徒に学ばせないようになり、文部省はグローバル化の時代に対応できる人材を育成するために1989年の学習指導要領から世界史を必履修科目にした。

これに対してグローバル化の時代だからこそ自国の歴史を学ぶべきではないかという日本史必修論が高まり、他方では日本史を必修化した場合に世界史を学んだことのない生徒が増加することへの危惧も高まっていく。双方の主張を受けて、2011年に日本学術会議が日本史・世界史を統合した新科目の設置を提言し、最終的には文部科学省の中央教育審議会の議論を経て「歴史総合」が誕生することになった。

コンピテンシー・ベースの歴史学習

これまで日本史と分離した形で世界史が学ばれてきたことには、功罪の両面がある。メリットとしては、諸外国では自国に関係した他国の歴史しか学習しないケースが多いのに対し、日本では他国の歴史を体系的に詳しく学習してきた。デメリットとしては、世界史では多くの歴史用語を暗記しなければ大学入試で得点できないために、教科書に膨大な歴史用語が盛り込まれてきた。

(中略)

ゆえに世界史と日本史を統合することと、暗記する知識が倍増しないことが、同時に実現されなければならない。そのために「歴史総合」は、歴史の見方・考え方を身につけるコンピテンシー・ベースの科目とすることを柱とし、対象とする歴史を近現代の三つの大きな変化、すなわち「近代化」・「国際秩序の変化や大衆化」・「グローバル化」に焦点化することになった。網羅主義と決別し、あらためて歴史を再構成する科目となったのである。

(中略)

「歴史総合」によって、知識を詰め込む歴史学習から、知識を使って考え、表現する歴史学習への転換の可能性が生まれているのである。

(全文はこちら)
https://news.yahoo.co.jp/articles/df8ef3987ebf8c3d74c9bfcfe8c804f1505d453d

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Source: 理系にゅーす