このままどんどん栄養疫学の真髄に触れるようなお話をうかがっていきたいところだが、ここでは少し立ち止まって、別の話をする。
今村さんがエルカ酸の研究を手がける以前の研究について、ちょっと気になる表現があった。1970年代のインドで行われた古い研究を、今村さんは「エビデンスが弱い」と位置づけた。
エビデンスには「強弱」つまり、強い証拠と弱い証拠があるのだろうか。参考になりそうな考え方として、「エビデンスレベル」という概念があり、疫学の入門書を読んだことがある人なら知っているかもしれない。
先に紹介した「コホート研究」は、研究デザインとしてはかなり強いエビデンス足りうる(エビデンスレベルが高い)ものだ。また、さらにそれよりも強いとされる「メタアナリシス」も今村さんは複数手がけている。本稿では、次回以降、「メタアナリシス」についても考えていく。
だから、このあたりで、様々な研究デザインと、それぞれの「エビデンスレベル」を一通り見ておこう。最初から注釈しておくと、「エビデンスレベル」は一応の尺度ではありつつも、それを振り回すと新たな誤解を招きかねない悩ましい概念でもある。その悩ましさを踏まえてか、今村さんは「エビデンスレベルの話はもう古い」と一刀両断する。それでも、知らないと丸々誤解することもありうるわけで、可能な限り簡潔に解説を試みる(かなり抽象的で理屈っぽくなるので、面倒であれば飛ばしてもらっても、次回以降の議論には問題ないように配慮する)。
以下、疫学入門レベルの知識を、今村さんの監修を一応受けながら書き下す。ぼくの意見が出すぎているところは割り引いてほしい。
まず、エビデンスレベルが低い方から。
〈専門家の意見〉はあまり信頼が置けないとされている。テレビに出てくる専門家らしき人が、なにか断定的なことを言ったとしても、きちっとしたデータの裏付けがなければ、その人の「独自見解」にすぎない。〈臨床家の実感〉〈権威の長年の経験〉も同様だ。
さらに、「データの裏付けが必要」と知った上で、素人には判断のつかないデータを列挙し、「専門家のふり」をして発言する人もいるから注意が必要だ。そもそも、何をもって専門家というのかはっきりしない。ぼくが今村さんを「栄養疫学の専門家」として理解するのは、前回、紹介した栄養疫学のコホート研究をはじめ、次回以降で話題にするメタアナリシスなど今村さん自身が研究して発表する立場だからだ。では、医師や医療統計の専門家など、隣接分野の人たちはどうだろうか。
「あくまで、私の専門の栄養疫学の話ですが、メディアによく出てくるような人たちが話している内容で、正しいと思えた記憶がほとんどないほどです。既存のエビデンスの読み方や解釈ですでに『独自見解』が入り込んでしまっているんです。ですので、個々人の意見は、かりに科学的根拠をうたっていてもエビデンスレベルは低いという前提でよいと思います」
これはかなり手厳しい意見だし、また、今村さん自身の見解の正当性も常に問われる言明でもある。ぼくは、前述の通り、栄養疫学の知見を自分自身で探求する立場の研究者として信頼を抱いているわけだが、読者に押し付けることはできない。それでも読者が下す判断に資することを願いつつ、エビデンスレベルの話を続ける。
〈症例報告〉などもエビデンスとしては弱い。医療でいえば、臨床現場の医師からもたらされる「こういう患者さんがいました」「こうやったら治りました」といった報告がそれに相当する。もちろんこういった報告は大事で、より証拠能力が高い研究を行う動機になる。
〈動物実験〉も医療情報としてのエビデンスレベルは低い。衝撃的な内容の見出しの記事で、よくよく読んだら根拠が動物実験のみ、という場合は現在の医療や実生活に役立つかというよりも科学の発展を伝えるニュースと考えるのがよいと思う。
結局、人への影響を知るためには、人を見なければならず、それも一例だけではだめだ。そのため社会集団を見る〈観察研究〉が行われる。
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引用元: ・【医学】健康情報の「エビデンス」を鵜呑みにしてはいけない理由
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Source: 理系にゅーす