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ザハ・ハディドの新国立競技場案 提供=Zaha Hadid Architects/EyePress/Newscom/アフロ

時代が追いついた「アンビルトの女王」ザハ・ハディドの美学
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20211221-00067976-jbpressz-life

 文=三村 大介
■ トラブル続きだった東京五輪
 早いもので2021年ももうすぐ終わろうとしている。結局、昨年同様コロナウィルスに翻弄される1年にとなってしまったが、そんな中、今年最も話題に上がったトピックの1つは、東京オリンピック・パラリンピック関連であったのではないだろうか。

中略
■ 「アンビルトの女王」と呼ばれて
 思えば今回のオリンピックは、その開催が決定する前から、なにかとトラブルが続いていた。新国立競技場の改修を巡り、一旦決定したデザイン案が白紙撤回されてしまったことという「事件」もその1つである。設計は世界屈指の建築家ザハ・ハディド。女性初のプリツカー賞受賞者でもある彼女は奇しくも[Queen of the Unbuilt(アンビルトの女王)]という異名を持っていた。

 彼女の建築の特徴は、なんと言っても、その大胆かつ奇抜な外観デザインである。彼女はまだ若かりし頃から、その斬新なデザインが世界的評価を集めていた。

 しかし、実際に建てようと思うと施工も難しく、当然費用もかなり掛かってしまい、なかなか実作完成まで至らない。そんな時期が続いてしまったため、[Queen of the Unbuilt]と言われ始めたらしいのだが、一体いつ頃から、誰がこう言い始めたのかはわからない。

 だが、この名称は決して嘲笑や侮蔑の意味ではない。彼女の生み出す建築は、たとえ建つことがなかったとしても、未来を先取りしたように魅惑的で、描き出す図面や透視図は、現代美術館に展示されていても全く遜色がないほど芸術的であった。Unbuiltであっても彼女は十分Queenであった(何を隠そう、私は彼女の作品に魅了され続けてきた一人で、学生時代、彼女の透視図をパネル化して部屋に飾っていた)。

 そんな彼女に時代が追いついた。21世紀に入ってコンピューターの急激な発展や施工技術の革新によって、これまでUnbuiltであったものがBuiltできるようになってきた。また、潤沢な資金を用意できる産油国や中国では、費用面での心配も少ないことが追い風となって、彼女の作品が続々と誕生することになる。もはや[Queen of the Unbuilt]などと思う人はもういない。

 しかし、非常に残念なことに、彼女は2016年、65歳という若さでこの世を去っている。世界各国で多数のプロジェクトが進行していた中での死はさぞや無念であっただろうと思われるが、おそらく、その死の直前まで、彼女を悩ませていたであろう計画が、《新国立競技場》であったのは間違いない。

■ アンビルト化された競技場
 2012年、新国立競技場の建替計画に伴い、国際コンペ開催された。応募総数46件(海外34作品、国内12作品)の中から彼女の提案が最優秀に選出された。彼女の計画は、2本のキールアーチ(弓状構造物)と開閉式の透明膜からなる屋根が特徴で、流線型のフォルムが美しい、未来を先取りしたような大胆かつ斬新なデザインであった。

 しかし、その発表直後から、その巨大な大きさが敷地である神宮外苑の景観や自然環境を損ねることや、建設費が膨大になることが予想されることに対する懸念や批判が、建築家や批評家だけでなく、アスリートや市民団体からも噴出した。

 その後、彼女の案は、工期や費用を考慮し、「可動式観客席(15000席)を仮設に変更」「開閉式屋根の設置は五輪後に」など計画の簡素化、規模の縮小化されたデザインに修正されるが、「ダイナミズムの低下(槇文彦)」、「亀のような鈍重な姿(磯崎新)」 と、更なる批判をあびるはめになってしまう。

 結局、健闘虚しく、総工費が当初の1300億円から2651億円に膨れ上がってしまったことを理由に、2015年7月、彼女の計画は白紙撤回されることになった。彼女側は実現可能性を訴えたが、結局政府はコンペの再実施に踏み切ることになり、彼女は舞台から下ろされることになってしまう。そして今、我々が目にしている国立競技場は、再度実施されたコンペによって選出された隈研吾によるものであることは、誰もがよく知るところである。

 確かに、彼女の建築作品は、その土地の歴史や風土、周辺環境や気候よりも、彼女自身の建築美学が優先されていることは否めない。しかし、彼女の案を選んだのは審査員であるし、建設費の高騰を「彼女のデザインのせい」と、彼女自身に批判の矛先が行くのは見当違いではなかろうか。…
全文はソース参照


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Source: 理系にゅーす