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1: 2020/09/14(月) 15:07:15.84

https://news.yahoo.co.jp/articles/5ed3f014eddaa74ac92b5933183bd78f2e52825c

9/14(月) 11:39配信

西日本新聞

 16世紀後半の朝鮮出兵の拠点として、豊臣秀吉が佐賀県唐津市鎮西町に築いた名護屋城。徳川家康や伊達政宗など150以上の大名が参陣した歴史があり、城跡と一部の陣跡は国特別史跡に指定されている。ただ、「認知度が課題」と指摘されることも多い。その背景を探った。

 8月下旬の平日昼。名護屋城跡を訪れると、資料を手に歩く観光客がちらほら。東京から訪れた50代女性は「名だたる大名が集ったなんて、すごい場所」と驚いた表情で語った。観光で唐津を訪れて知り、初めて立ち寄ったという。

 名護屋城は当時、大坂城に次ぐ規模を誇ったとされる。現在、城跡には往時の姿を伝える石垣が残り、周囲には約150もの陣跡が確認されている。建物は一切ないが、日本の歴史上、類を見ない遺跡だ。

 珍しさが光る一方で認知度には疑問が残る。現地でガイドを務める女性(42)は「呼子でイカを食べる待ち時間に寄り、初めて歴史を知る観光客も多い。全国の有名な城跡に引けを取らない価値があるのに…」と首をかしげる。

 日本城郭協会によると、全国には2万~5万の城跡があるという。文化庁のまとめでは特別史跡に指定されている城跡は15カ所のみ。そのうち、秀吉に関係する大坂城跡と名護屋城跡で昨年度の来場者数を比較すると、大阪城天守閣を訪れた人は約218万人だったのに対し、名護屋城跡は約5万4千人。差は歴然だ。

    ◆   ◆

 「建物がないばっかりに目が行き届かないのでは」。現地でガイド活動などに取り組む市民団体「肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会」の事務局長(63)は、注目度に差が生じる一因をそう分析する。

 確かに、市中心部の唐津城は1966年に天守閣が造られ、観光地として定着。名護屋城跡よりも評価は劣るが、毎年度10万人以上が訪れる。「城がないと存在感に欠ける」と事務局長。だが実は、過去に「名護屋城天守閣復元計画」があったという。

 旧鎮西町の役場に勤めた男性(80)によると、56年に発足した町の初代町長、名古屋経一氏が旗振り役を担った。名古屋氏は「農漁業中心の町の発展には整備が必要」などと訴え、識者と協力して設計図を作成。62年に県教育委員会を通して国に復元許可を申請したという。

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Source: 理系にゅーす