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1: 2020/08/28(金) 15:04:18.32

 日本列島で人類の歴史が始まった時、その最初の姿はどのようなものだったのだろう?

 この、考古学・人類学の一大テーマに答えを出す可能性のある旧石器時代の遺跡が現れ、研究者の関心が高まっている。長野県佐久市の香坂山(こうさかやま)遺跡である。出土した石器を見ると、アフリカを出てユーラシア大陸を西から東へと拡散していった現生人類(ホモサピエンス=新人)の大きな流れが、まさにそのまま直結した形で日本列島に姿を現したかのようなのだ。

 国武貞克・奈良文化財研究所主任研究員をリーダーとする研究グループが8月初めから調査している。

 日本列島では約3万8000年前、大陸から新人が渡ってきて、人の歴史がスタートしたと考えられている。世界的な考古学の枠組みでは、後期旧石器時代と呼ばれる時代だ。それよりも前に人が住んでいたかどうか、つまり、日本列島にも前期・中期の旧石器時代が存在したかどうかについては、ちょうど20年前に発覚した発掘捏造(ねつぞう)事件も絡んで、議論が分かれている。こうした事情から、研究者が一致して存在を認めるのは3万8000年前以降の時代であり、その最初がどのような状況だったのかが、旧石器時代研究の最大関心事の一つなのである。

 香坂山遺跡は実は、1997年に一度発掘されている。

 浅間山の東南約15キロ、八風山(はっぷうさん)山麓(さんろく)南側の標高1080メートルの地点に位置する。群馬県境に近い。上信越自動車道の八風山トンネルの建設工事に伴って発見され、長野県埋蔵文化財センターによって調査が行われた。

 その時、後期旧石器時代を特徴づける石器製作技術である「石刃(せきじん)」技法でつくった石器などが見つかった。石刃技法とは、石器になる原石を他の石などでたたいて割り、ナイフのような鋭い刃をもつ縦長の素材を効率よく獲得する技術である。

 当時、同時に出土した炭化物の放射性炭素年代測定によって、遺跡の年代は3万6000年~3万5000年前とわかった。この年代は、石刃が出土した遺跡として国内最古とされている。

 ただ、年代測定の技術進歩はめざましい。最初の発掘から20年以上たっているため、国武氏は今回、さらに精度の高い年代測定を念頭に発掘を思い立った。「墨粒(炭化物)が取れればいいな」と臨んだわけだ。

 ところが、3週間足らずの間に、望外といえる収穫が連続することになった。

 出土した石器は約400点。中でも注目されるのが、長さ10センチを超えるものも含む大型の石刃と、長さ3~4センチほどと小さくて薄い小型の石刃の2種の石刃。大型石刃は97年の調査でも発掘されたが、この時代の小型石刃が見つかったのは初めてのことだ。さらに、尖頭器(せんとうき)と呼ばれる先のとがった大型の石器も見つかった。

 この3種の組み合わせが日本列島で見つかったこと自体が初めてなのだが、興味深いのは大陸で発掘された石器との比較だ。

 国武氏によると、「大型石刃・小型石刃・大型の尖頭器」の3種のセットは、アフリカを出た新人がユーラシア大陸に入り、西から東へ拡散していく時に持っていた石器の組み合わせという。言い換えると、大陸で後期旧石器時代が始まった時の最古の石器の組み合わせである。

 その時期と地域は、おおよそで中東(レバント=4万8000年前)、中央アジア(4万5000年前)、中国北部(4万4000年前)、朝鮮半島(4万2000年前)などと時代を下りながらつながってゆき、それぞれ同じ内容の石器のセットが見つかっている。

 それと同じ3種セットが今回見つかったわけだ。そこで、焦点となるのが遺跡の年代である。

 これまで香坂山遺跡の年代は3万6000年前とされてきたので、朝鮮半島の同種の遺跡とは6000年の時間差があり、やや離れている。今回、高精度の年代測定によって年代がさかのぼることになれば、時間の溝が縮まる。

 カザフスタンやタジキスタンなどユーラシア大陸での発掘も行ってきた国武氏は「レバントから韓半島まで、東に行くほど年代は新しくなるけれど、隣接地域には1000~2000年くらいで伝わっている。新人…(以下有料版で、残り1817文字)

毎日新聞 2020年8月28日 14時00分(最終更新 8月28日 14時00分)
https://mainichi.jp/articles/20200827/k00/00m/040/329000c

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Source: 理系にゅーす