■名字は大字小字の小さな地名からつけられた
名字が農民にまで広がった室町時代、親戚縁者はみんな近所に寄り集まっ暮らしていた。名字の由来の約8割は地名だが、その名字も市や郡レベルではなく、大字(おおあざ)・小字レベルの狭い地域の地名が多く使われている。
■「渡辺」--大阪中之島・嵯峨源氏
日本人の名字ランキング総合順位5位の「渡辺」は、大阪市中心部の中之島地区が発祥地だ。この辺りは淀川から海に向かって開く土地柄で港として栄え、「渡しの辺り」という意味で「渡辺」という地名になったといわれる。
この地を治めていたのが嵯峨源氏一族の武士で、渡辺という名字を名乗り始めた。彼らは水軍として力をつけ、各地に移住し、その名を全国へ広めた。
■「佐々木」は滋賀、「長谷川」は奈良「初瀬川」
名字ランキング13位の「佐々木」は、今はすでになくなってしまった滋賀県の同地名が発祥である。
ランキング34位の「長谷川」のルーツも明らかで、奈良県桜井市の初瀬川(はせがわ)周辺である。この川は東西に長い谷に沿って流れていて、「長谷」と書いて「はつせ」と読んだ。そのうちに「つ」の音が落ちて、「はせ」と呼ばれるようになり、「長谷川」が誕生した。
■「三浦」は神奈川・桓武平氏、「金子」は埼玉
「三浦」「金子」という、比較的メジャーな名字も、発祥の地がはっきりしている。「三浦」は神奈川県の三浦半島で、ここに暮らしていた桓武平氏の三浦一族が全国へ広がった。「金子」は埼玉県飯能市の地名だ。
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昔の日本人にとって、稲作に適した湿地は大切な場所だ。
湿地は北関東の方言で「あくつ」と呼ばれ、「阿久津」「安久津」という見栄えのいい漢字を当てたり、意味を重視して「圷」と書く場合もある。
一方、西日本の方言では湿地のことを「ふけ」と言う。
「福家」「富家」「浮気」「泓」など、漢字ではさまざまに書くが、すべて同じ湿地である。つまり「あくつ」さんも「ふけ」さんも、音で聞くと、まるで違う名字だが、ともに湿地に由来するという共通点があるのだ。
■昔の一等地は「谷間」だった
ひとつの地名にたくさんの家がある場合、土地の有力者、支配者とその一族が地名を名乗ることが多かった。
それ以外の村人は、自分の家のある場所の地形や方角などで区別をすることがほとんどだったという。
中世の日本人は、谷間に好んで暮らしていた。
「昔の一等地は谷間です。平野の真ん中に住んでいると、四方から敵に攻められますが、谷なら入り口だけ守ればいいですから。また谷の真ん中には川が流れ、魚が獲れますし、水田を作りやすい。昔は水道がないので、水場の遠くには住みにくい。また谷の周囲には山があり、薪(たきぎ)が採れる。生活必需品がすぐ手に入るのです」(森岡)
この頃の村人たちは「山」に囲まれた「谷」に住み、「森」や「林」などを利用して薪を採る。近くを流れる「川」や「池」を利用して「田」を耕し、「米」を収穫する。そんな当たり前の生活から生まれた名字が「山田」「谷川」「小川」「池田」「米田」「森」「小林」「木村」などだ。
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日本は平野が少ないので、昔から山の中腹あたりまで開墾して棚田を作り、耕地面積を増やしている。そのあたりに暮らした人を「山中」と呼び、山の麓に暮らすと「山下」、山の入り口なら「山口」となる。
昔の人は地形の変化に敏感で、それぞれ名前をつけている。
「岸」という言葉は、今なら水辺の川岸などを想像するが、もともとは地形の変わり目を指している。
平地と山の境目などに田があれば「岸田」となり、そこに川があれば「岸川」だ。
山の稜線の出っ張っている部分は「さき」と言い、「山崎」という名字になる。ここに神社があれば「宮崎」、寺があれば「寺崎」と呼ばれる。
急な崖地も、住民にとっては気になる地形だ。これは「くら」と呼ばれており、古い大和(やまと)言葉である。
平安時代以降、漢字が広く使われるようになってから「倉」「蔵」という当て字をするようになっていった。(続きはソース)
10/31(土) 19:00配信
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Source: 理系にゅーす