monogatari_susanoonomikoto
1: 2020/11/06(金) 22:43:28.90

 日本神話や神社に関する本は多いが、本書『日本神話の迷宮 続・幾千年の時空の彼方へ 』(天夢人)の特徴は、著者の藤井勝彦さんが全国各地の神社を訪ね歩いた探訪記・探究記というところにある。なぜ神々がそこで祀られるようになったのか、本当の由来は何か。実際に現地に何度も足を運ぶことで見えてきた神々の姿を、写真や絵画史料など豊富なビジュアルとともに紹介している。

■真実が隠されている

 藤井さんは1955年生まれ。歴史紀行作家・写真家。『邪馬台国』『世界遺産富士山を行く! 』『中国の世界遺産』『三国志合戦事典』『写真で見る 三国志英雄たちの足跡』など日中の古代史に関する著作が多数ある。すでに『日本神話の「謎」を歩く 幾千年の時空の彼方へ』も刊行しており、本書はその続編という形になっている。

 これまでに訪ねた寺社は1千以上。本書に登場するのは約250社の神様。地元の人々に伝承を聞き、地域の資料館で裏付けをとる。その結果、わかったことは「神話の世界は虚像・実像が織りなすタペストリー」であり、「そこには真実が隠されている」ということ。

 本書の冒頭で、藤井さんは記している。

 「ヤマト王権の登場によって・・・各地で祀られていた地主神はもとより、氏族が祀っていた氏神までもが・・・政権側の都合のよいように塗り替えられてしまった」

 きっかけになったのは、8世紀初頭に成立した『古事記』『日本書紀』の編纂だったという。「でき得る限り多くの氏族が、王権側の系譜につながっていたほうが都合がよかった」ということで、一つの体系、「神話と称される物語」が作り上げられたと見る。それ以前から存在していた各地の神々の統合・従属が図られたというわけだ。

■元の神様と違う可能性

 こうした動きは近世以降の国家神道の流れが強まる中でさらに顕著になった。各神社の祭神は記紀に記された神様であることが求められた。その結果、「祀られている神様は、もともと祀られていた神様と違う可能性が高い」「真の姿が見えないことで、真の歴史さえ見えなくなってしまった」というのが現在の神社や神様の姿だと推測する。

 この辺りは、言い方は違っていても、多くの研究者が指摘するところでもある。著者は本書を以下のような構成にすることで、主張を鮮明にしている。

※省略

■出雲では頼もしい英雄

 素戔嗚尊は天照大神の弟なので、本来は第1章の天津神に分類されて然るべき。それがなぜ第2章の国津神なのか。様々な乱暴狼藉を働いて高天原を追放されたからなのか。

 藤井さんは、「素性をよくよく調べてみると、もとから皇統に連なるものではなかったのではないか?との疑念が大きくなっていく」と記す。

 素戔嗚尊は残忍なことを平気で行う神様として『日本書紀』に描かれている。どうしてここまで悪く書かれているのか、何か意図があるのではないか、何かを隠しているのではないか・・・。弟の暴挙に耐えかねた天照大神はついに「天の岩屋」に立てこもる、というのは有名な話だ。

 ところが高天原を追放された後に、出雲の国に降り立った素戔嗚尊からはもはや乱暴さは消え、八岐大蛇を退治する頼もしい英雄に様変わりする。藤井さんは、高天原の素戔嗚尊は『記紀』編纂者が作った虚像で、出雲以降が本来伝承されてきた実像と推理している。

 この素戔嗚尊にまつわる伝承については、なぞの多い『記紀』の中でも、とくに多くの研究者の頭を悩ませてきた難題であり、様々な推論を呼んできた。本書ではそのいくつかも紹介されている。

■相変わらず国家神道の社伝

 藤井さんは各地の神社を巡り歩いて気づいたことがあるという。どこも社伝として掲げるのは『記紀』に記された文面をもとにしたものばかり。国家神道による社伝は明治になって確立したもの。しかし、戦後70年余りたっても変わっていないことに失望を禁じえなかったという。一般に神社や日本の神々のガイドブックは「社伝」の受け売り、すなわち国家神道の追認にとどまっているが、本書はそこから一歩踏み込んでいる。(続きはソース)

2020/11/2
https://books.j-cast.com/2020/11/02013329.html
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Source: 理系にゅーす