1: 2018/11/16(金) 19:38:18.91 ID:CAP_USER
明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」の8日後に、信長の重臣として知られる柴田勝家が織田方に宛てた直筆の書状が新潟県新発田市で見つかりました。光秀の討伐に出遅れた勝家が、当時、京都から大阪に展開していた光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる内容で、専門家は「本能寺の変直後の勝家の情報収集の水準がわかる貴重な記録だ」と指摘しています。

今回見つかった書状は、本能寺の変の8日後の天正10年6月10日、今の福井市の居城にいた柴田勝家が、織田方の武将、溝口半左衛門に宛てて書いたものです。

郷土史に詳しい新潟大学の冨澤信明名誉教授が新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から見つけました。

書状の冒頭には、「天下の形勢は致し方ないことで言語に絶するばかりだ」と・・・

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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181116/K10011712961_1811161218_1811161224_01_02.jpg

NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181116/k10011712961000.html

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引用元: 「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる。明智光秀の居場所把握できず?[11/16]


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Source: 理系にゅーす