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【令和に期待(2)】 戦後日本のエネルギー政策に「さよなら」を
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190611-00010002-socra-pol
2019/6/11(火) 15:05配信
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 再エネと水素エネルギーを軸とする社会へ
 「変われない日本」の典型が戦後日本のエネルギー政策だろう。時代が大きく変わってしまったのに、高度成長を支えたエネルギー政策が平成時代までそっくり受け継がれてきたのは驚きである。

 戦後日本のエネルギー政策は1950年代に確立された。その柱は石炭火力と原子力発電を両軸とするエネルギー供給体制だった。
 重化学工業路線をひた走り高度成長の実現を目指す当時の日本は良質、安価で大量に発電できる発電所が必要だった。
 その条件を満たしたのが石炭火力と原発だった。一カ所に巨大発電所を集中的に建設し、東京などの大消費地に潤沢な電力を送電するシステムによって高度成長は達成された。

 特に石炭以外のエネルギー源に乏しい日本に取って原発は大きな魅力だった。このため、戦後の自民党中心の歴代内閣は国策として強力に原発を推進してきた。

 石炭と原子力を柱とする戦後のエネルギー政策は当時大成功だったが、平成時代に移行した90年代初め頃から盤石に見えたエネルギー政策に暗雲が漂い始めた。

 90年代に急浮上した地球温暖化問題が最初の暗雲だった。
 世界の科学者の間でその数年前から地球温暖化が世界の気候変動に悪影響を与えることが指摘され、
 88年には気候変動と地球温暖化を専門に調査研究する国際機関として国連の肝いりでIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立された。

 IPCCは設立2年後の90年に第一次評価報告書を発表し、
 「温暖化の主因が人間活動に起因する可能性が大きい」と指摘し、石炭など化石燃料の過剰消費に警告を発した。

 1997年12月、京都でCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)が開かれ、温室効果ガスの排出削減が合意された。
 産業革命を支えた主役の石炭など化石燃料が、突然諸悪の根源のように批判され、その消費抑制が議論された最初の国際会議となったのである。

 日本は90年基準比で12年度末までに6%削減を約束した。この後、石炭火力への批判が国際的に強まり、石炭火力王国、日本の立場は苦しくなった。

 政府は将来、万一石炭火力の大幅削減が求められた場合、不足電力を原発で補うため、2000年代に入った頃から、「原子力ルネサンス時代を迎えた」として,
 原発の新増設を電力会社、原子炉メーカなどに積極的に呼びかけた。この当時は原発の「安全神話」を信じていた国民の多くも政府の原発推進路線を支持していた。

 この状況が大きく変わったのが、2011年3月の東京電力福島第一原発の深刻な事故だった。
 二つ目の暗雲だ。東日本大地震の影響で発生した巨大津波が第一原発を破壊し、大量の放射性物質が周辺地域に拡散された。多くの住民が放射能汚染を逃れるため住処を離れた。

 原発は安全ではなかった。一度事故を起こすと取り返しのつかない被害が発生する。多くの国民が原発に強い不信を抱き、反原発の動きが強まった。

 原発開発にも様々な限界が見えてきた。政府が核燃料サイクルの中核に据えてきた高速増殖炉「もんじゅ」は技術的問題を克服できず、
 建設費や維持費に約1兆円が投入されたにもかかわらず、2016年2月に廃炉が決まり、現在解体作業が進められている。

 もうひとつの核燃料サイクル、青森県六ヶ所村の再処理施設も進退極まる状況に追い込まれている。
 2兆円以上の政府資金が投入されながら20年以上も稼働できない状態が続いている。原発から排出される高レベル放射性廃棄物の処理方法も宙に浮いたままだ。

 さらに深刻な問題は、近い将来大地震が日本列島を襲う可能性が強まっていることだ。最も心配されているのが南海トラフ大地震の発生だ。
 南海トラフとは静岡県の駿河湾沖から四国沖合を通り九州の沖合まで続く海底のくぼ地で、約百年から二百年おきに大地震が繰り返し起こっている。

 この繰り返しでいけば、2050年頃までに大地震が起こる可能性が強まっていると多くの地震学者が指摘している。

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引用元: ・【環境学】令和に期待(2】 戦後日本のエネルギー政策に「さよなら」を[06/11]


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Source: 理系にゅーす